対談 talk
対談 |
・・・70年代に音楽を通じてひょんな事から知りあった仲間。学校や仕事場で一緒だったことは、一度もなく、きっかけが何だったかもわからない間柄だったが、駒沢の近くにボロアパートを借りて、何人かが住み、バベルと呼んで、たまり場をつくり、興味のあるテーマで、「ゼミ」のようなものや「イベント」をしたりしていた。まったく出入り自由で、誰が来てもよかった。その後、互いに家庭をもち、子どもが生まれても、連絡のつく仲間と数年に1度ぐらいは会っていたが、仲間のひとりが建て主となり、ひとりが設計者となって、ひとつの家が完成した。 |
斉藤: |
設計者の石井さんとN夫妻は、どういうお知り合いですか? |
N夫: |
長くなるんで手短に言うと、1960年代の中頃、藤田組という大手建設会社が若い人の意見を汲みたいっていうんで、「学生重役」というのを募集したんですね。それで応募して当選した人たちがその後就職するのも面白くないっていうんで、3人で藤田組の近くにプレハブ小屋を借りて、「パンデコン」ていう事務所を作ったんですね。 |
N妻: |
そこの「バベル」で、中学時代テニスでペアを組んでいた友人にも出会ったりするんですよね・・・不思議。 |
斉藤: |
クローズされた仲間内だけの話では、ないんですね。 |
N夫: |
中学や高校の同級生とかに比べると一緒にいた時間はそんなに多くないですよ。だけど、それぞれ独身でつきあっていたころから知っていて、今もってその付き合いが続いているということです。 |
斉藤: |
いまでいうコミュニティカフェですね。 |
N妻: |
そうかもしれない。場が必要ということは、あったから。 |
石井.: |
当時喫茶店ばやりで、それは、コーヒーにお金を出しているんでなくて、場所代だよねという発想があって、それでさっきのみんなで借りるアパートの話になった。ボクと大学で同級生だったA君は、そのころ子どもの遊びのことやっていてその関係でイベントにも参加したんだね。 |
N妻: |
話すの好きだったのね。今の人たちみたいに「思っていることいえない」なんて、ありえない。(どこに住んでいて、どこの学校なんて関係なくって・・・)ここに話題があったら、みんなでそれについて、わっーてしゃべりまくって、帰りたければ、帰っちゃうし、遅れてくる人も関係ないし、何時に集まれもない。 |
N夫: |
もちろんゼミなんかは、何時からというのがあるけれど、遅れようがなにしようがそんなことは、誰もなにもいわない。(寝ててもかまわない。) |
石井.: |
それからしばらくして、井上君から家を建てようと思うんだよねという話があって、いろいろ話しこんでいた。ある時、伊豆にいい土地を見つけたからって、ボクに見てくれというから彼ら一家と行くんだけどボクは、バツを出したんだよね。彼らがっかりしちゃって。 |
N夫: |
それは、なぜ? |
石井.: |
敷地の条件が良くなくて。でも、それからあんまり時間がたたないうちに八ヶ岳の候補地が出てきて、じゃあ見に行こうと、そして、いいんじゃないかということで、ボクが設計させてもらうことになるんだけど。 |
斉藤: |
つまり、それが、この家を建てるのを前提にしての話ということですか? |
N夫: |
そうです。八ヶ岳の井上君の家にも行ったことがあるんで、その頃、ボクも30代でサラリーマンやめて、独立してフリーになってたし、別にどこに居ようが構わないんで、家内とこんなとこで暮らせたらいいねとは、話してて、1次募集で井上君は建てたけど、県の第2次か第3次の募集で(僕たち)はずれちゃって、それで、井上君の隣組になることは、すっかりあきらめていた。 |